luna creciente とは


2014-09-29

三日月の秋の夜


屋久島の写真があがってきました。
35mmのフィルムカメラ1台のみ屋久島に持参。
少しずつ記憶が薄れてきたころに仕上がったので、
久しぶりに見る緑の世界は、あのときのドキドキした気持ちを
呼び起こしてくれました。





もう気がつけば9月も終わり。
昨日の夜、前に住んでいた家の前に行くと、
取り壊される寸前でした。
窓も全部外されて、暗闇だけがそこにはありました。
いろいろなことが蘇って、少し寂しい気持ちになりました。

記憶だけが、時間も空間も超えて自由に旅をしているようです。

10代のころも、20代のころも、とても不安定で
一度糸が切れたら、もう戻って来れないような感覚でした。
行き先も、戻る場所もわからなくて、ずっと迷子のような気分でした。
ヨガに出会ったタイミングと、写真の作品を発表するタイミングが重なり、
そこでペースをおとし、ゆっくり歩くことを知りました。

今思うと、
あのときは変わることが怖かったのです。
変わることを受け入れることがなかなか出来ずにいました。
季節が変わるように、自分を取り巻く環境も変化していきます。
それを素直に受け入れるのに、とても時間がかかりました。

今は、
変わらないことは何もないという気持ちになり、
変化を受け入れて楽しむことができるようになりました。
それはきっと変わり続けることの中で、
変わらないことが唯一あることを知ったからだと思います。





昔から、涙もろい私ですが、
最近はさらに涙もろくなりました。
先日テレビで放送していた「猿の惑星」の映画を、
小6の姪っ子と観ていました。
最後のあたりで、号泣。
姪っ子に「ともちゃん、赤ちゃんみたいだね」と。

泣きそうになるくらい大切にしたいことがあり、
それは今まで通り過ぎてきた日常の一瞬でした。
大人になるって泣くことなのではないかと思うくらい、
胸が熱くなり、グッとこらえることが増えました。

そういった日々を写真に残しています。

今はまだ言葉にできない感覚のままのことが多いですが、
いつかそれを言葉にして本にできたらいいなと、
きれいな三日月をみながら心の中で思っています。








2014-09-17

屋久島


物心ついたころから、
生まれ育った家には木がたくさんありました。
いつもトラックが出入りし、
木を運んでいました。
高く積み重なった木からはいつもいい香りがしました。

東京に来てから、
家業は材木店なんだなというのを強く意識しました。
もう、あとを継ぐものがいないので、今年で終わってしまいましたが、私のなかではずっと木のことが続いていました。


いつしか「木」が私のなかで大きな存在になっていて、
今年に入り「7200年」の木が屋久島にあることを知りました。
みたいなあと思っていたら、
尊敬する写真家さんが屋久島で展示をするということを聞き、それならばこのタイミングということで行ってきました。

旅は子供のころから好きで、
24歳くらいから一人旅をするようになりました。
いつも電車とバスと歩きが私スタイルでした。

大きなリュックとカメラで、毎年日本を巡っていました。

でも、なぜか今回の屋久島はとても緊張しました。
なにか覚悟が必要な気がしたのです。
島に着くと少し蒸し暑く、そして緑がとても濃く、生き生きしていて、初めて感じる雰囲気でした。

朝3時に起きて
4時に出発。
6時に登り初めて、
「7200年」の縄文杉に出会えたのがお昼の12時でした。
それまでの道のりで、1000年以上の木がたくさんあり、じっくりみたいところでしたが、よそ見をしていると足を踏み外しそうになる険しさ。

今回はガイドさんも、そして初めて会う仲間たちも一緒だったので、
いろいろ説明をしてもらいながら、何とか写真を撮りながら。

こんなに大きくなるのだから、きっと土がいいんだろうなと思っていたら、
屋久杉の下は土ではなく、岩だということを聞きびっくりしました。
岩の上にこの木が立っているのです。
ゆっくりゆっくり時間をかけて、大きくなるのです。

想像以上の世界に、唖然としてしまいました。

帰りも同じ道のりを歩き、1日22キロで10時間。
こんなに続けて歩いたのは、きっと生まれて初めてでした。



次の日、太ももが筋肉痛でしたが、なぜか歩き足りない気がして、
さらに4時間以上歩き続けました。
カメラ片手に海沿いの道をずっとまっすぐ。
さらに次の日は、島をバスでぐるっと回りました。
何とか屋久島の表面だけにやっと触れられた気がします。

どこにも境界線はなく、自然も人も動物もみんな大きな円の中で
暮らしている印象を受けました。
本当に豊かな場所。
厳しくもあり、だからこそ優しくもある。

とてもシンプルで真っすぐで、
いかに私たちが物事を複雑にして、
心を曇らせているかを感じることができました。

「素直にありのままに生きなさい」と
山から空にあがる雲の流れをみているときに、ふと聞こえたような気がしました。

本当に大切なことは何か
をいつも自分に問いながらここまで来ましたが、
またこの旅で教わりました。

本当にありがとうございます。
また行きます。屋久島。

2014-09-05

9がつ



日に日に夜になるのが早くなってきました。
秋から冬へ。

夕方の何とも言えない空の色が好きです。
夜になる前の、深い青の時間。
町も人もその青に染まる、その時間。

引っ越しすることが正式に決まり、
心の中で次に住む場所を決めながら、
そんな空を眺めていました。

なんで自分はこの色が好きなのだろうと
ボーッと考えていたら、ふと浮かんできたこと。
私が産まれたのは、夕方の5時だと母から聞きました。
ちょうど夏至ごろなので、陽は長かっただろうと思います。
このくらいの色になる頃には、産声をあげてから2時間くらい。
なんとなく、私は自分が産まれてきたのだとわかったころではないかなと思います。
空をみてはいないだろうけれど、感じていたのだろうと。

記憶がどんどん重なって、いつしかそのことも忘れていましたが、
心の奥に眠っていた記憶が蘇ることがあります。
この空の色も、なんとなくそんな気がしています。


先日、ずっと観たかった河瀬監督の「2つ目の窓」を観てきました。
本当に大切なことは何かということを、感じる時間でした。

歪みはいつか別のカタチで目の前に現れます。
この大自然とともに真っすぐ生きる人たちの姿をみて、
自分の歪みを真剣に見つめるきっかけになりました。
もう、自分に嘘はつかずにいこう。
そんな気持ちで劇場を出ました。

自分の内にあるものは、自分の外にあるものとつながっています。
外を変えるのではなくて、自分の内を変えていく。

これから、大自然に戻る旅に行ってきます。