luna creciente とは


2014-10-29

色色


木枯らし1号がふいたそうですね。冬の到来でしょうか。

先日、いつもヨガでお世話になっている笹塚の福祉作業所のみなさんと
長野の蓼科と諏訪湖に行きました。


長野の山の高い場所では紅葉がとても綺麗でした。
屋久島の木はとても力強いのですが、長野の木はとても繊細な印象を受けました。


長野の冬はとても寒いですが、
木々には鮮やかさがありました。
寒さには色を出す力があるのかなと思いました。
東京の冬も寒いですが、この季節の急な冷え込みが葉を色づかせるのだと、長野の山をみて思いました。





今年はどんな年だったのだろうと、あと2ヵ月で年を越す前に振り返っています。

年の初めに頭に浮かんだこと
・土
・食
・寄り添う

食は、3月に鹿児島に行ったときに出会った宮崎の農家さんに自然農で作った野菜を送ってもらったり、実家の新しくできた畑で採れた野菜で家族にご飯を作ったりしていました。

寄り添うというのは、心でしょうか。仕事だけではなく、家族や友人、そして、日頃出会った人たちに寄り添うような気持ちで接することを大切にしてきました。これはずっと続けます。

最後の土。
これだけは、未だに思い当たることがなかったのですが、
最後の最後に引っ越しをすることになり、
自分の心が決めた場所は、畑のそばでした。
採れたての野菜がその場で買えるようなので、今から楽しみにしています。

さてさて、2015年の足音も聞こえてくる季節。

どんな1年になるのではなくて、
どんな1年にするか。
その1歩は自分の行動だということを実感しています。


木々の葉が色づいて、それが本当に美しいように、
人が本当に美しく輝いているときは、
たくさんの人に出会い関わったときなのではないでしょか。
向き合って話したり、一緒にご飯を食べたり、一緒に仕事をしたり。
誰かと比べて、自分にないものを数えるのではなくて、
今いること、在ることが本当に全てで、相手を相手として捉え、
自分を自分として捉えることが大切だと思います。
そういう想いを持った人からは色が生まれる気がします。
その色が集まって人々が紅葉のようになるのではと。
それはこの季節の山のように本当に美しい。
人も自然であると気づく瞬間のように感じます。

先日働いている施設で、ある利用者さんが言ってました。
「どんなに大人になっても赤ちゃんのときを忘れないで」と。

その言葉を繰り返し繰り返し思い浮かべています。
赤ちゃんは出会いが多い。
生まれたときから全てが出会いの連続です。
自分でできないことがほとんどで、
誰かとの関わりがあって
生きていくことができます。
そして、誰かと比べることもなく、
ありのままで生きています。

なんとなく、
彼女が言っていた言葉には、そんな想いが込められているように
思えるのです。